<医療ミスは殺人?>
誰にでも失敗はあります。どんなに有名な医者だって、最初からずっと失敗していない人はいないと思います。
だから「医療殺人」とは言わず「医療事故」と言うのでしょう。 また、意識的に命を奪ったのではなく、判断・処置が間違っていた結果、命を奪ってしまったという意味では「交通事故」と似ていると思います。 でも、起こしてしまったミスは、もう取り返しがつきません。 医師も人間ならば、被害者に対して誠心誠意謝罪すべきです。 自分の病院で手に負えなくなったからと瀕死の患者を近くの大学病院へ搬送し、後は「当院には全く関係のないこと」と完全無視を決め込む卑劣な対応とどこまでも無反省な姿勢を、当時の私は絶対に許せませんでした。
もちろん、理事長は故意に事故を起こした訳ではないでしょうし、ある意味、理事長も医療事故の被害者だと思います。 でも、交通事故と同様、道交法を守って運転していても事故を起こすこともあるわけで、事故を起こした以上、そこに悪意の存在や運転(医療)技術レベルが云々ということはともかく、事故を起こした加害者は、被害者や遺族に対して、深く、深く謝罪し、自らを反省すべきではないでしょうか。 また、司法の判決がどう出ようと、人間として償うべきことは沢山あると思います。
だって、自分の判断ミスの結果、尊い人の命を失くしたのです。 生まれてきた子供は、母の顔も温もりも一生知らずに生きていかねばなりませんし、将来、自分の誕生が母の命を奪った原因なのだと辛い思いをするかもしれません。 また、亡くなった妻の無念さも計り知れません。 亡くなった命は、そして幸せだった家庭は、もう二度と戻らない。 そのことを、被告の理事長は重く受け止め、心から反省すべきだと私は思います。
<医療ミスを隠蔽することはひき逃げ犯と同じ?>
前記のとおり、私は交通事故も医療事故も「事故」に変わりはないと思います。そしてまた、医療ミスを隠蔽すること」は、交通事故の「ひき逃げ」と同じくらいに罪深いことではないでしょうか。「誰も見ていないから・・・」
医療ミスを隠蔽する医師も轢き逃げ犯も、両者共に卑劣極まりない人間です。 起こしてしまった失敗を正直に認め、心から反省し、謝罪し、もう二度と同じ過ちを繰り返さない決意をせず、それどころか
私利私欲のために嘘を吐き、判決さえ無視し続ける人間 を私は許せません。 誠心誠意、反省する心や謝罪する心、償う心がなければ、愛する者を奪われた憎しみの心は、一生涯消えることはありません。
<医療訴訟の本当の目的は?>
医療過誤訴訟で闘っている殆どの原告が訴訟を起こすに至った理由は、 「医療ミスに対する怒りよりも、事故後の病院側や医師側の、誠意のない対応や見え透いた嘘の言い訳が許せないから」であり、「本当に医療ミスだったのか?その責任の所在は何処にあるのか?という真実を知りたい」
からなのです。 一部の心無い人達は「お金が目的だろう」と言いますが、ならば、実際に最愛の家族が同じ目に遭ってみれば分かるはずです。 お金で命は戻りません。ましてや莫大な費用と長く苦しい時間がかかる訴訟を起こし、その結果、勝訴できるかどうかさえ全く分らない裁判を「お金目的」で起こす人は皆無だと私は思います。
<医療を知らない裁判官に裁かれるのは不服?>
しかし、訴えられた医師の大半は、その理由を理解できていないと思います。 もし「自分の診療は絶対に間違っていない」と自信があるのであれば、正々堂々と法廷で立証すれば良いと私は思います。
「医療を知らない裁判官に裁かれても仕方がない」と、医療裁判に批判的な人も多いようですし、確かに信じられないような判決を下す裁判官もいます。 ですが、冷静に考えて、「ならば、もっと医療レベルの高い他の医療関係者に事故の徹底調査を依頼し、自分の診療がいかに正しかったかを法廷で立証すれば良い」と思いますし、それが本当の「医師としてのプライド」ではないでしょうか?
第一、「医療過誤訴訟」なんて、カルテ等、殆どの決定的な証拠資料は病院側や医師が持っており、 そもそも訴訟のスタート地点から、明らかに患者側が劣勢に立たされている のです。それにもかかわらず、「医療裁判は・・・」という声を聞くと、どうしても「真実から逃げているのでは?」としか私には思えないのです。
<医療事故は誰も調査・介入してくれないから、医療事故に遭ったら自己責任?>
しかし、交通事故と決定的に違うところは、交通事故の場合はまず第三者である警察が介入し、詳しく実証検分し、事故の原因や過失の有無を調べ上げてくれます。その結果、加害者には賠償金の支払の他に実刑等が科せられ、さらにはニュース等で報道されるので、名実ともに社会的制裁が科されます。
一方、医療事故の場合は、誰も介入や調査をしてくれません。なので、まず被害者側が医療ミスか否かを調査し、疑わしければ自らの負担で弁護士を雇って訴訟を起こし、極めて収集が困難な証拠資料の中から医療ミスを立証しなければいけません。これには時間的にも、金銭的にも、肉体的にも、精神的にも非常に大きな負担がかかります。
そして、長い長い時間をかけた後、幸いにも「医療ミス」という判決が出たとしても、病院や医師達は、保険会社から支払われる保険金をそのまま原告へ支払えば、全てが解決したかのように終りです。
でも、これでは過ちを犯した病院や医師が心から反省し、真剣に事故の再発を防ぐことができるのでしょうか?
しかし、悲しいかなこれが現在の医療訴訟の現実です。おそらくこれは、医療事故に遭った人にしか分らないと思います。
<医療崩壊について>
今、日本では「医療崩壊」が叫ばれています。 そのきっかけは、医療ミスで医師が逮捕され、刑事事件として扱われた福島県の「大野病院事件」といわれていますが、私は疑問に思います。
医者の不当逮捕を叫ぶ方々の主張に「医者は毎日、生命の危機や病気と闘っているのだから事故が発生する確立は極端に高く、また、通常の医療行為の結果、不幸にして救命できないことも多々発生しているから、医者にその過失を問うことは筋違いだ」ということだそうです。 私も大筋そうだと思います。 しかし、一点だけ納得できないことがあります。 それは、医療裁判で必ず争点になる「通常の医療行為の結果、不幸にして救命できない事例であったのか否か」です。これは民事訴訟で争わない限り、その判断は加害者である医者や病院に一方的に決められてしまいますが、それはおかしくないでしょうか?
幸い私の妻の事故の場合は、第三者である搬送先の九州大学病院の医師達が「救命可能な事例であった」と証言して頂いたから勝訴できたのであり、もし、妻が搬送されていなければ、「不幸にして救命できない事例」として闇に葬られていたでしょう。 なので、むやみに「医療崩壊」を叫ぶ前に、まず医療事故を徹底調査する公平な国の第三者機関を設け、「医療ミス」の基準なり過失のレベルなりを決めるべきであり、その基準や判断結果等に対して医療界が納得できなくて初めて「医療崩壊」を叫ぶことができるのではないでしょうか?
例えが悪いかもしれませんが、私はシステム技術者です。その私がクライアントにトラブル対処を頼まれて出向いたが、自分のレベルでは上手く対処できなかったとしましょう。結果、私はクライアントに対し「完全復旧は不可能です」と判断したとします。でも、私よりもっともっと有能な技術者は完全復旧させることができるでしょう。つまり、私のレベルでは「不幸にして復旧できなかった事例」と勝手に判断され完結してしまいます。でも、実際は私の技術レベルが低かっただけで、通常であれば、完全復旧できた事例なのです。
もちろん、システムのレベルと医療レベルが同じとは思っていません。でも、私も国家資格を有し、作成したシステムやトラブル復旧の数は数え切れません。 要は、医者であれシステム技術者であれ、その技量レベルは一様でないことは明白な事実なのです。
医者の逮捕を受けて、福島県内の病院が閉院したという噂を聞きましたが、私には閉院する理由が理解できません。 だって、自分の医療技術に自信があれば関係のないことですし、また、万一医療ミスを犯しても正直に公表すれば不当に逮捕されることもないでしょう。 たしか大野病院事件で医師が逮捕された理由は、事故の報告を上げてなかったり、遺族への明確な説明等がなかったので、警察が逃亡の危険性を考慮して(という理由で)の逮捕だったと私は記憶しています。
これは言い過ぎかもしれませんが、もし本当に大野病院の医者の逮捕に驚いて医師を辞めたり、閉院した病院があったとしたら、それは「自分の医療技術に自信がなくなったか、または医療ミスを多発していたから怖くなって閉院したのでは?」と陰で噂されてもしょうがないのではないでしょうか? もちろん、そんなことは絶対にないと私は信じていますが。
<医療事故に冷酷な行政と警察?>
事故直後、私は公共機関その他の団体に足を運びましたが、警察も、社会保険庁も、県や市も、各医療団体も、この医療事故に関しては異常なほど冷酷かつ無関心でした。ある機関の担当者からは「そんなことは民事で勝手にやってください」と門前払いをされました。 また、訴訟活動をしていると、心無い人々から「お金目的じゃないの?」と言われる始末。 悲しいかな、これが今の日本の医療過誤訴訟の実態なのです。 私はお金が欲しくて訴訟を起こしたのではありません。また、お金で人を生き返らせることは出来ません。しかし、上記のとおり、今の日本において、医療事故の真相を追究する手段は「民事による医療過誤訴訟」しか他に方法はないのです。 なので、一刻も早く、上記のような医療事故を徹底調査する公平な国の第三者機関の設立を強く求めます。
但し、現在進行中?の「国が病院に代わって保証金を出す制度」の設立には反対です。被害者が本当に欲しているのは「事故の原因究明」であって「お金」ではありません。本当にその事故が「不幸にも救命できなかった事例」であったならば、遺族はそれ以上、誰も追及しないと思います。 それに、その事例を全国の医師が共有すれば、次回は救命できるような治療が発見されるかもしれませんし、そのような失敗の事例情報ネットワークのほうが大切だと思います。 国や行政は「お金」じゃなく、もっと「頭」を使ってもらいたいと私は切に思います。
<弁護士とは思えない弁護士が代理人をやっている?>
さらには前記のとおり、被告の弁護士達は、我々原告に対し、誠意のない対応や無責任な発言、ヤル気が見えない答弁等が多く、裁判所から何度も注意を受けていたことも事実です。「弁護士としてのプライドはないのか? 真面目に審議する気があるのか?・・・」、 私が現実で見た弁護士は、TVドラマで見るような真実を立証しようと奮闘努力するものとは程遠いものでした。 いよいよ来年から進裁判員制度が始まるようですが、それを機会に、もっと真面目な審議や真剣な答弁が出来るように願うばかりです。
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